韓国政府が、再び医学部定員の拡大に踏み切った。
2026年2月、韓国保健福祉省は、2027年から医学部入学定員を段階的に増やす新方針を正式発表した。これは、2024年に大規模な医師ストライキを引き起こした“医師増員政策”を、形を変えて再始動させる動きとして大きな注目を集めている。
今回の計画では、医学部定員を2027年に3,548人まで増加させ、その後も段階的に拡大。2030年には3,871人規模に到達する見込みだという。政府はこの政策について、「地方医療」「必須医療」「公的医療」の崩壊を防ぐために必要不可欠だとしている。
しかし、韓国医師会(KMA)は強く反発している。
なぜ韓国はここまで“医師不足”を問題視しているのか
韓国は世界でも有数の高齢化社会へ突入している。
OECD諸国の中でも高齢化スピードは極めて速く、慢性疾患患者や高齢者医療需要が急増している。一方で、医師数はOECD平均を大きく下回る状態が続いてきた。
特に問題となっているのが、「地方」と「必須診療科」の崩壊だ。
ソウルなど大都市には医師が集中する一方、地方病院では産科、小児科、救急医療、外傷医療などを担う医師不足が深刻化している。韓国政府は、2035年までに約1万5,000人規模の医師不足が発生すると試算しており、医師養成数を増やさなければ医療体制維持が困難になると警告している。
つまり今回の政策は、単純な“医師を増やす政策”ではなく、「地域医療崩壊を止めるための国家戦略」という位置づけになっている。
2024年には大規模ストライキへ発展
しかし、この問題は単純ではない。
2024年、当時の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権は、年間医学部定員を一気に2,000人増やす方針を打ち出した。
これに対し、若手医師や研修医が猛反発。約1万人規模の研修医が病院を離脱し、全国の大病院で手術延期や救急受け入れ制限が発生するなど、韓国医療は深刻な混乱に陥った。
特に韓国では、大学病院の診療が研修医に大きく依存している構造がある。
そのため、若手医師の大量離脱は医療現場へ直接的な打撃を与えた。救急外来縮小、手術延期、患者搬送困難などが相次ぎ、「医療崩壊寸前」とも言われた。
政府は最終的に、医師免許停止処分など強硬措置を一部撤回し、対話路線へ転換することになる。
医師側は「数より労働環境改善が先」と主張
医師団体が強く反対している理由は、“医師数増加そのもの”だけではない。
若手医師たちは、「医師不足の原因は人数ではなく、過酷な労働環境だ」と主張している。
韓国の研修医は、長時間勤務や低賃金が以前から問題視されてきた。Reutersによると、一部の研修医は週80〜100時間勤務を行っているとも報じられている。
また、人気診療科への偏在も大きい。
美容医療や都市部の高収入診療科へ人材が集中し、救急、小児科、産科など“激務かつ低報酬”とされる分野を敬遠する傾向が強まっている。
そのため医師側は、「単純に医学部定員を増やしても、本当に不足している診療科へ人材は流れない」と批判している。
さらに、「教育インフラが追いつかない」という懸念も大きい。
医学生を急増させれば、教育の質低下や臨床実習環境悪化を招く可能性があるとして、韓国医師会は今回の政府案についても「無責任」「不完全な推計に基づく政策」と厳しく非難している。
今回は“地方医療重視”へ方針転換
一方、韓国政府も前回の失敗を踏まえ、今回はより慎重な形で政策を進めようとしている。
今回の新計画では、増員分の多くを地方医学部へ配分し、卒業後一定期間は地方勤務を義務化する方向性も含まれている。報道によれば、新規増員された学生には、卒業後10年間地域医療へ従事する義務を課す案も示されている。
つまり、“都市部へ医師が集中する問題”を是正しようとしているわけだ。
また、前回のような急激拡大ではなく、数年かけて段階的に増やすことで医療界との衝突を最小限に抑えたい狙いも見える。
ただし、韓国医師会側は依然として警戒感を崩しておらず、再び対立が激化する可能性も残されている。
日本にとっても無関係ではない
韓国の議論は、日本にとっても非常に示唆的だ。
日本でも地方医師不足、診療科偏在、勤務医の長時間労働は長年の課題となっている。
特に救急、小児科、産科など“支える医療”の担い手不足は深刻であり、単純な医師数だけでは解決できない構造問題を抱えている。
また、日本でも「医学部定員を増やすべきか」「地域枠をどう活用するか」といった議論は続いており、韓国と非常に似た構図が存在する。
韓国が直面しているのは、「医師数を増やすか否か」という単純な問題ではない。
“どの地域に”“どの診療科へ”“どのような働き方で”医師を配置するのか。
そして、若手医師が将来に希望を持てる医療システムをどう構築するのか。
今回の韓国政府の再挑戦は、超高齢社会における医療制度改革の難しさを改めて世界へ示している。
まとめ
韓国政府は、深刻化する地方医療崩壊や高齢化による医療需要増加を背景に、再び医学部定員拡大へ踏み切った。2024年には大規模な医師ストライキを引き起こした政策だが、今回は段階的増員や地方勤務義務化などを盛り込み、より“地域医療重視型”へと方向転換している。
しかし、医師側の反発は依然として強い。若手医師を中心に、「問題は医師数ではなく、過酷な労働環境と診療科偏在にある」という声は根強く、単純な定員増だけでは本質的解決にならないとの懸念が広がっている。特に救急、小児科、産科などの“高負担・低報酬”分野へ人材が集まりにくい構造は、日本とも共通する課題だ。
今回の韓国の動きは、「医師を何人増やすか」という数の議論ではなく、“どこで”“どの診療科で”“どのような働き方を支えるのか”という医療制度全体の設計問題へ発展している。
また、研修医への依存度が高い大学病院システムや、都市部への医師集中、地方医療空洞化など、韓国が抱える問題は日本にとっても決して他人事ではない。日本でも地域枠、勤務医改革、診療科偏在対策などが続いており、超高齢社会における医療人材政策の難しさは共通している。
韓国政府の“再挑戦”が成功するかどうかは、単なる定員増ではなく、若手医師が将来に希望を持てる労働環境や、地方でも持続可能な医療体制を構築できるかにかかっている。
今回の議論は、医療制度改革が単純な「人数調整」では解決できないことを、改めて世界へ示している。
出典
Reuters
Korea JoongAng Daily
Dong-A Science
OECD Health Statistics
韓国保健福祉省(Ministry of Health and Welfare, South Korea)


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