なぜ今「経鼻製剤」がアツいのか 鼻粘膜を介した治療戦略が急拡大、“注射不要時代”への転換点

近年、医薬品業界で急速に存在感を高めているのが「経鼻製剤(鼻から投与する薬)」だ。これまで鼻炎薬など限定的な用途が中心だった経鼻投与だが、現在はてんかん、アナフィラキシー、低血糖、中枢神経疾患など、命に関わる疾患領域にまで応用が広がっている。

2025年には抗けいれん薬「スピジア点鼻液」、2026年にはアナフィラキシー補助治療薬「ネフィー点鼻液」が国内で発売され、医療現場でも“鼻から治療する時代”が現実味を帯び始めた。

背景にあるのは、単なる剤形変更ではない。吸収促進技術、ドラッグデリバリーシステム(DDS)、噴霧デバイスの進化が重なったことで、これまで不可能と考えられていた薬剤投与が実現し始めている。

目次

「鼻から薬」はなぜ注目されるのか

経鼻製剤がここまで注目されている最大の理由は、「速い」「簡単」「侵襲性が低い」という3つの特徴にある。

通常、薬を飲む場合は胃や腸を通過し、肝臓で代謝されてから全身へ届く。一方、鼻粘膜は毛細血管が非常に豊富で、薬剤を直接血中へ届けやすい。つまり、経口薬よりも早く作用しやすいという特徴を持つ。

特に急性疾患との相性は極めて良い。

例えば、てんかん発作やアナフィラキシー、重度低血糖などは「数分以内の対応」が重要になる。しかし、注射薬は医療従事者でなければ扱いが難しく、患者本人や家族が即座に対応できないケースも多かった。

そこに登場したのが経鼻製剤だ。

鼻に噴霧するだけで投与できるため、自己投与や家族投与が容易になり、救急対応のハードルを大きく下げた。医療従事者でなくても使いやすい点は、在宅医療や高齢社会とも非常に相性が良い。


ブレイクスルーを起こした「吸収促進技術」

経鼻製剤が長年普及しきれなかった最大の理由は、「薬が十分吸収されない」という問題だった。

鼻粘膜は本来、異物の侵入を防ぐ防御機構を持っている。薬剤を吸収させようとしても、粘液や繊毛運動によって排出されやすく、十分な血中濃度に届かないケースが多かった。

そこで重要になったのが「吸収促進剤」である。

近年、米Neurelis社の「Intravail」に代表される高性能吸収促進技術が登場したことで、鼻粘膜からでも高効率かつ安全に薬剤を吸収できるようになった。

従来は「吸収を高めると粘膜障害が起きる」という課題が大きかったが、安全性が大きく改善されたことで、一気に実用化が進み始めた。

現在では、スピジア点鼻液やネフィー点鼻液にもこの技術が活用されており、海外では既に主流技術の一つになりつつある。


実は“デバイス革命”でもある

もう一つ大きいのが、「噴霧デバイス」の進化だ。

鼻の内部は非常に複雑な構造をしている。単純に薬を噴霧しても、目的部位へ届かなければ十分な効果は得られない。

そのため現在は、

・粒子径
・噴霧角度
・ノズル構造
・噴霧速度

などが細かく最適化されている。

特に、中枢神経系疾患では「どの部位へ届けるか」が重要視されており、嗅神経に近い上鼻道付近へ正確に届ける技術開発が進んでいる。

これは単なる“鼻スプレー”ではなく、精密なDDS(ドラッグデリバリーシステム)の世界だ。


「脳へ直接届ける」未来も見え始めた

経鼻製剤が最も期待されている分野の一つが、中枢神経系疾患だ。

通常、脳には「血液脳関門(BBB)」という強力な防御機構が存在し、多くの薬剤が脳内へ到達できない。

しかし鼻腔からは、嗅神経経路を介して脳へ直接アプローチできる可能性が指摘されている。

徳島大学の研究では、カニクイザルへの核酸医薬の点鼻投与によって、脳へ直接送達できる可能性が示された。もし実用化されれば、現在は髄腔内注射が必要な神経疾患治療が、将来的に“鼻から投与”できるようになる可能性もある。

アルツハイマー病、パーキンソン病、希少神経疾患などへの応用期待も高まっている。


「注射から解放される医療」へ

経鼻製剤の本質は、“薬の形を変える”ことではない。

医療そのものの在り方を変える可能性にある。

これまで病院でしか使えなかった薬剤が、自宅で、患者自身のタイミングで、安全に使えるようになる。その変化は、在宅医療、慢性疾患管理、救急医療の形を大きく変えるインパクトを持つ。

特に日本は高齢化が進み、医療従事者不足も深刻化している。自己投与可能な薬剤の拡大は、医療アクセス維持という観点でも重要性を増している。

経鼻製剤は単なる新剤形ではなく、「患者中心医療」を支える次世代インフラになりつつある。


市場は急拡大、世界的競争へ

世界の鼻腔ドラッグデリバリー市場は急拡大している。

市場調査では、2024年の約808億ドルから、2029年には1182億ドル規模へ成長すると予測されている。

背景には、

・救急医療ニーズ
・自己投与需要
・高齢化
・在宅医療拡大
・中枢神経系治療の進化

などがある。

現在は急性期レスキュー薬が中心だが、今後は核酸医薬、ペプチド医薬、精神疾患治療薬などへの拡大も期待されている。

「飲み薬か、注射か」という時代から、「鼻から届ける」という第三の選択肢へ。

まとめ

経鼻製剤はこれまでの「鼻炎薬」というイメージを超え、救急医療や中枢神経疾患領域にまで広がる次世代の治療プラットフォームへ進化し始めている。

その背景には、吸収促進剤の進化や噴霧デバイス技術の高度化がある。従来は難しかった「鼻粘膜から十分な薬剤を吸収させる」という課題が克服されつつあり、てんかん、アナフィラキシー、低血糖など、“一刻を争う疾患”への応用が現実になった。

さらに近年は、嗅神経経路を活用した「脳への直接送達」という新たな可能性にも注目が集まっている。アルツハイマー病やパーキンソン病、核酸医薬など、中枢神経系領域への展開も期待されており、経鼻製剤は単なる剤形変更ではなく、DDS(ドラッグデリバリーシステム)の進化そのものと言える。

また、自己投与しやすいという特徴は、在宅医療や高齢社会との相性も非常に良い。これまで医療機関でしか扱えなかった薬剤を、自宅で、患者自身や家族が使用できるようになることで、医療アクセスやQOLの改善にもつながる可能性がある。

市場規模も世界的に拡大しており、今後は急性期レスキュー薬だけでなく、精神疾患、慢性疾患、バイオ医薬品領域へと応用範囲が広がっていくとみられる。

「飲む」「注射する」に続く、“鼻から届ける医療”。

経鼻製剤は今、医療の常識そのものを変え始めている。


【出典】
・日経バイオテク「なぜ今アツイ? 鼻粘膜を介した治療戦略が続々登場するワケ」
・徳島大学大学院医歯薬学研究部 薬物治療学分野
・The Business Research Company「Nasal Drug Delivery Technology Global Market Report 2025」

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