財政理由による教授解雇を可能にする新法が示すもの
米ケンタッキー州で、大学における終身在職権(tenure)のあり方を揺るがす法改正が成立した。州議会は、民主党のアンディ・ベシア知事による拒否権を覆し、公立大学・カレッジの理事会が「正当な財政上の理由」を根拠として、終身在職権を持つ教員を解雇できるようにする法案を成立させた。
この動きは、単なる州レベルの雇用ルール変更ではない。大学の自治、学問の自由、研究の独立性、そして近年の米国における高等教育をめぐる政治対立の延長線上に位置づけられる問題である。
法案の内容は何か
問題となっているのは、ケンタッキー州の House Bill 490 である。
この新法では、公立大学や州立カレッジの理事会が、“bona fide financial reasons”、すなわち「正当な財政上の理由」があると判断した場合、終身在職権を有する教授であっても解雇できると定めている。
しかも、その財政上の理由として明示されているのはかなり広い。条文上は、たとえば以下のような事情が含まれる。
- ある専攻・学科の学生数が少ないこと
- 収益とコストの不一致
- 財政上の不均衡
- その他、大学側が財政合理性に基づくと主張する事情
さらに重要なのは、対象となる教授に与えられる猶予が非常に短い点である。法案では、影響を受ける教員に対して30日前通知を行えば足りるとされており、教授側には実質的にわずか1か月で自らの職を守るための反論や説明を行うしかない。
これは、終身在職権が本来持っていた「長期的な研究・教育活動の安定」を大きく掘り崩す内容だといえる。
なぜこれが大きな問題なのか
終身在職権は単なる雇用保証ではない
tenure はしばしば「教授を簡単にクビにできない制度」と理解されるが、本質はもう少し深い。
それは単なる雇用上の優遇ではなく、学問の自由を守る制度として設計されてきた。
大学教員は、ときに政府や企業、政治勢力、宗教団体、世論と衝突する研究や発言を行う。もしそうした活動が「気に入らない」「不都合だ」という理由だけで解雇できるなら、大学はもはや独立した知的機関ではいられない。
そのため tenure は、
- 政治的に不人気なテーマの研究
- 経済的に利益を生まない基礎研究
- 支配的価値観に異議を唱える発言
- 長期的視野が必要な教育・研究活動
を守るための仕組みとして機能してきた。
今回の法改正が問題視されているのは、財政理由という一見中立的な言葉を通じて、実質的にはこうした保護を回避できる余地を広げているからである。
知事が拒否した理由
「曖昧で広すぎる基準」への懸念
アンディ・ベシア知事は4月13日、法案に拒否権を行使した。
その際の拒否メッセージで、彼はこの法律が終身在職権を持つ教員を “an ambiguous and vague new standard of ‘bona fide financial reasons’” によって解雇可能にするものだと批判した。
この指摘は極めて本質的である。
「財政上の理由」という言葉は一見合理的だが、実際には非常に広く解釈できる。
たとえば、ある研究室が短期的には利益を生まない、ある学科の学生数が減っている、ある研究テーマが外部資金を取りにくい、といった事情はすべて「財政上の合理化」の名のもとに整理対象にされうる。
そうなれば、大学は教員を「思想」や「研究テーマ」や「政治的立場」で直接攻撃する必要すらなくなる。財政合理化という外形だけ整えればよいからだ。
ベシア知事はさらに、この法が “people, programs and research” を標的にしうると警告した。
つまり問題は個人の雇用だけではなく、プログラム、学科、研究領域そのものが消される可能性にある。
それでも州議会は押し切った
共和党多数による拒否権の覆し
しかしケンタッキー州議会では共和党が多数を握っている。
そのため、知事の拒否権は最終的に覆された。
- 下院:80対19
- 上院:32対6
という数字は、この法案が単なる偶発的な立法ではなく、州共和党の明確な政治意思のもとで進められたことを示している。
ここで重要なのは、法案が「財政効率」だけを目的にしているのか、それとも近年の保守派による高等教育批判の流れの一部なのか、という点である。
文脈的には後者の色彩がかなり濃い。
教員団体がなぜ強く反発したのか
全米大学教授協会(AAUP)と、関連する教員労組 American Federation of Teachers は、法案成立直前に共同声明を出して反対した。
その声明で彼らは、この法律が以下のような形で使われうると警告している。
- 理事会メンバーの経済的利益に反する研究プログラムを閉鎖する
- 全国的にイデオロギーの標的になりやすい学科を廃止する
- 理事会が気に入らない発言をした教員を黙らせる
この指摘は誇張ではない。
なぜなら、近年の米国では州レベルで、
- DEI(多様性・公平性・包摂性)関連プログラムの縮小
- ジェンダー研究や人種研究への攻撃
- 特定の講義内容への政治介入
- 教材や教育方針への法的圧力
が進んでおり、高等教育はすでに文化戦争の前線になっているからである。
この文脈では、「財政上の理由」という文言は単なる予算管理のための語ではなく、政治的に敏感な研究や学科を整理するための新しい道具になりうる。
支持側の論理
「すでに使われている言語を統一しただけ」
一方、法案支持者はこれを過剰な懸念だとみなしている。
共和党の州議員 Aaron Thompson は、この法案で使われている文言は「すでに一部大学で使われている」ものであり、今回の立法はそれを州内の大学で一貫したルールにするものだと説明した。
この主張は、行政・経営の観点から見ると一定の説得力を持つ。
大学は現実に財政制約の下で運営されており、学生数の減少、専攻需要の変化、収益構造の悪化があれば、何らかの人員整理や組織再編が必要になることはある。
つまり支持側は、
- 大学も有限の財源で運営されている
- 終身在職権があっても全くの例外扱いはできない
- ルールが大学ごとに違うより統一した方がよい
という立場を取っているわけである。
ただし、問題はそこで終わらない。
「財政再編は必要かもしれない」ことと、「その基準が濫用されない」ことは別問題だからだ。
本当の争点はどこにあるのか
財政合理性 vs 学問の自由
この問題を単純に「教授を守るか、大学財政を守るか」という対立で捉えるのは不十分である。
本質的な争点は、誰が、どんな基準で、何を“不要”と判断するのか にある。
もし学生数が少ない学科を一律に削るなら、
- 哲学
- 古典学
- 特定地域研究
- 基礎科学の一部
- 批判的社会理論
- ジェンダー研究や文化研究
のような領域は常に脆弱になる。
しかし、大学の価値は「短期的に採算が合うか」だけでは測れない。
むしろ、すぐには利益を生まなくても長期的に社会や知にとって重要な分野を維持することにこそ、大学の公共性がある。
この意味で、今回の法案は単なる労務管理の変更ではなく、大学を市場的合理性にどこまで従わせるのか という思想的問題でもある。
小規模プログラムに何が起こるか
今回の法律で特に打撃を受けやすいのは、小規模な専攻や収益性の低い学位プログラムである。
記事にもある通り、この立法は「small degree programs」を消しやすくする流れの一例として位置づけられている。
これは非常に重要だ。
なぜなら大学の多様性は、多数派が殺到する人気分野だけで成り立っているわけではないからである。
小規模専攻には、
- 地域文化の継承
- 批判的知性の育成
- 応用まで時間のかかる基礎研究
- 多様な知的生態系の維持
という役割がある。
だが、今回の法のように「低登録者数」や「コスト不整合」が明確な解雇根拠になると、こうした領域は常に財政の名のもとで消される危険にさらされる。
ケンタッキー州だけの問題ではない
この立法はケンタッキー特有の出来事ではあるが、示している方向性は全米的である。
近年、共和党主導州を中心に、高等教育に対する立法的介入が強まっている。
その特徴は、
- 大学の自治を弱める
- 教員保護を削る
- 学科・研究テーマに政治が介入する
- 財政やガバナンスを口実にイデオロギー対立を持ち込む
という点にある。
したがって、この法案は単なる州内の労務ルール変更ではなく、アメリカにおけるテニュア制度の再定義の一部として読む必要がある。
まとめ
ケンタッキー州で成立した House Bill 490 は、公立大学の理事会に対し、「正当な財政上の理由」を根拠として終身在職権を持つ教授を解雇する権限を明文化した。
知事はその基準の曖昧さと濫用可能性を理由に拒否したが、州議会はそれを覆した。
この法案の意義は、単に大学が財政難に対応しやすくなるというだけではない。
それは、大学における教員保護の仕組みを弱め、研究・学科・発言の自由を、財政合理性の名のもとで再編可能にする点にある。
今後問われるのは、大学が効率化を進めること自体ではなく、効率化が学問の自由や大学の公共性を壊さない形で行われるのか という点である。
そしてこの問いは、ケンタッキー州だけでなく、アメリカの高等教育全体に広がる可能性が高い。
本記事は、Inside Higher Ed 掲載の
“Kentucky Republicans Override Beshear’s Veto of Faculty Firing Bill”
をもとに再構成しています。


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